電話_0823-34-3824 営業時間_10:00〜18:00 不定休

映画「でっちあげ」を観ました

主にNetflixやAmazon Prim Videoなどで観た映画、ドラマの感想です。
*極力ネタバレしない範囲で、個人的感想や感じたことを書いていきます。

引用元:東映映画チャンネル

やけやま不動産、代表の甲斐です。

映画「でっちあげ」を観ました。

感想

他人に罪を「でっちあげ」てまで責めるという行為は、いったいどのような心理から生まれるのか、物語の最後まで、氷室律子の心情を完全に理解できないまま終わったことが、かえって強く印象に残りました。

その違和感から、私はあらためて律子という人物について考えてみました。

律子の行動は、表面的には「息子を守る母の愛」として描かれているものの、私にはどうしてもそれだけでは説明がつかないように感じられました。むしろ、彼女自身が抱えてきた出自や幼少期の体験、満たされなかった自尊心、積み重なった劣等感や不公平感といったものが、歪んだ形で噴き出した結果ではないかと思えたのです。

もしそうだとすれば、その動機は非常に個人的でありながら、同時に底知れない恐ろしさを孕んでいると感じました。

つまり、薮下先生がまったく認識していないところで、律子は自らの中にある妄想を膨らませたのか、あるいは嘘だと理解した上で利用したのかは分かりませんが、少なくとも「起きていない出来事」を事実であるかのように信じ、行動し続けたことになります。

その思考の飛躍と執着の強さこそが、この物語の最も不気味な部分だったように思います。

私自身の経験に照らしてみると、仕事において重要な事項については、「言った・言わない」といった無用なトラブルを避けるために、書類以外にも、発言ややり取りを記録することはあります。

しかし、日常の雑談や何気ない一言が歪曲され、それを根拠として長期的な攻撃に発展する可能性までを想定して行動するほど、私は用心深くはありませんし、おそらく多くの人も同様だと思います。

学校の先生という職業は、生徒一人ひとりと向き合うことが本分ですが、その背後には必ず保護者の存在があります。特に公立学校では、家庭環境や価値観、思想の異なる多様な保護者が存在するのが現実です。

そう考えると、薮下先生の「保護者に対する意識の薄さ」を指摘することもできますが、それは結果論であって、日常の感覚として常にそこまで警戒することが本当に可能なのか、とも思います。

生きていれば、思いもよらない角度から突然矢が飛んでくるような出来事に遭遇することがあります。そのたびに痛感するのは、この世界には、自分自身の経験や常識がまったく通用しない人が確かに存在する、という現実です。その事実を知っているかどうかで、世界の見え方は大きく変わるのだと思いました。

また、一人の人間が生涯で積める経験や、直接知り合える人の数には限界があり、だからこそ、私は他人を知る手段として映画を観、小説を読むのだと、あらためて強く感じました。

そこに描かれる感情や葛藤を追体験することで、自分の人生だけでは決して触れることのなかった心の領域に近づくことができる点に、映画や小説の本質的な価値があるのだと思います。

事実をベースにした作品は、現実に忠実であろうとするがゆえに、物語としての自由度が制限されることもありますが、それでもなお作品として昇華させるためには、登場人物の心理をどこまで深く、説得力をもって描けるかが不可欠になります。映像作品である映画においては、それを脚本と役者の演技に委ねざるを得ないことも、自然なことだと理解しています。

その点で、綾野剛の演技は非常に印象的で、強く惹きつけられました。言葉にならない感情や、理屈では説明できない心の揺れを、表情や佇まいで表現していたように思います。

一方で対照的な柴咲コウは心情を感じさせない点からまた素晴らしい演技だとも感じました。

私自身も二人の子どもを育て、二人ともすでに成人していますが、学校に関する大きな問題に直面することは幸いにもほとんどありませんでした。

ただ、モンスターペアレントの出現と少子化には、少なからず相関関係があるように感じています。私が子どもだった頃の学校と、私が親として子どもたちと過ごした学校生活とでは、明らかに空気が違っていました。その変化の背景についても、今後さらに考えていきたいと思わされました。


やけやま不動産では、不動産に関すること、地域のこと、代表の日々のことについてブログ発信も行なっていますので、ご興味ありましたら、是非ご一読ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。