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映画「母性」を観ました

主にNetflixやAmazon Prim Videoなどで観た映画、ドラマの感想です。
*極力ネタバレしない範囲で、個人的な感想を書いていきます。

引用元:ワーナー ブラザース 公式チャンネル

やけやま不動産、代表の甲斐です。

映画「母性」を観ました。

感想

原作者の湊かなえの小説は、「告白」が有名ですが、他にも「少女」や「境遇」のように単語のタイトルが多いです。

本作の小説を読んでおらず、映画だけを観た感想なので、小説のニュアンスがわからない点もありますが、タイトルを何故「母」とか「母親」ではなく「母性」としたのか考えました。

湊かなえは、母親と母性は異なるものとして捉え、それぞれの母親の姿を描くことで、母性とは何かを私たちに考えさせる意図を感じました。

言い換えると、母親であっても母性がない女性もいるだろうし、母性はあっても子を産んだ母親ではないこともあったり、母とは、とか、母性とは、という定義的なものも不確実で、それぞれのケースで一概には言えないのではないだろうかと感じました。

また、母性を持つ立場と、母性を受ける立場でも、「母性」への捉え方は異なり、特に母と娘の関係では、子供としての立場から、成長し、自ら母親になることによって、自分の母性と、母の母性を比べうる立場になることから、複雑なのだと思いました。

自ら命の投げ出した清佳の祖母の行動は母性だと思いますが、映画を観ていくと、清佳の母ルミ子に母性はあるのかと不安になりました。

しかし、ルミ子にも母性はあって、その価値観や表現の仕方から、娘には母性としてうまく伝わらず、娘にとって良かれと思ってとった行動でも、娘には伝わっていないだけなのだと思いました。

人間関係では、そんなことはよくあることですが、母性という言葉があるがために、母親の行動が母性とされれば、子供にその受け入れを強制してしまうことになり、特に母娘という関係では、同じ女性でもあるため、分かり合えないことが出てくるのだと思いました。

つまり、湊かなえは、多様な「母親」の姿を描くのではなく、「母性」の複雑さとか、母性を持つが故の母娘の葛藤を描こうとしたのではいかと考えました。

そう考えたとき、母性とはある種、女性としての本能であるため、子供から女性へと成長した子は、母親と適切に距離をとる方が、母娘の関係は良好に保たれ、それが女性にプログラムされた本能なのではないかとも感じました。

最後に流れる主題歌、JUJUの「花」を聞いたとき、そのように思いました。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。